Meycough Works

+2+

  1. novel
  2. 奇会的光陰観測
  3. here

「お邪魔します」「ただいまー」
 どこにでもある団地の一軒家、2階建て。瞳子によく似た勝ち気な顔立ちの女性が、有也の母である。
「あらあら。小鳥遊さんまで? もしかすると小鳥遊さんも紫条くんの」
「こんにちは。わたしも、紫条くんの知り合いです」
 わたしは高校生らしい笑顔を顔に貼りつけ、有也の母に応対する。有也はリビングに行き、「このバカ!」と怒鳴っていた。
「しょうがないじゃないか。1番分かりにくい場所にいたかったんだよ」
 わたしもリビングに入る。悠然とイラがコーヒーを飲んでいた。制服ではなく私服である。黒を着ているせいか、というかいつも黒っぽいイラだが、線が細いなぁと思う。うらやましい限りだ。
「ああ、メーコさん。こんにちは」
「こんにちは。イラさん、何から逃げてるの?」
 有也が不思議そうな顔をする。わたしは席につき、「コーヒーでいいかしら」という有也の母にお願いします、と返事した後、
「書き置きがあった」
 有也も椅子に座り、
「書き置き? イラ、逃げてるって」
「澤村は研究所を知ってるかな」
 イラはコーヒーの入ったマグを置いて、いつもの無表情を有也に向ける。
「研究所?」
「知らないか。花姫なら噂くらい流しかねないと思ったんだけど。メーコさんは知ってるかな?」
 わたしは首を横に振る。研究所が出てきても意外ではないが、わたしはなんの研究所なのかまでは知らないのだ。
「そうか。メーコさんも知らないか。花姫は戦法を変えてきたみたいだ。……ふたりには説明しておこう。ワタシは研究所から逃げている。研究員がよろしくない、おそらくクスリというかドラッグを製作中のようでね、それの実験体にされるんだろう。そういう、未来記だった。結果がどうなるのかは分からない」
 イラは一気に喋り、コーヒーを口に含んだ。有也は目をしばたく。
「研究所は違法なドラッグを作るところなのか? そもそもイラはなんでその研究所とやらに目をつけられてるんだ?」
 有也の疑問ももっともだ。わたしも分からない点である。予想はできてるけど。
「幼少期にそこにいたからだよね」
「メーコさんの勘の良さにはいつも驚かされるよ」
 イラの反応はいつも通り。大して驚いてるようには見えない。有也は話についていけず目を白黒させている。
「イラは研究所で育った?」
「そう。ワタシは両親の顔も覚えないうちに研究所に売られたんだ」
「イラさんが積極的に自分のことを説明するなんて、珍しいね」
 わたしの言葉にイラは顔を歪めた。
「せまられて説明してるだけだよ」
「初めてでしょ、今の説明するの。ご家族の方以外に」
 分かりにくいリアクションだが、イラが図星だと感じたことは分かった。
「ワタシの過去はどうでもいい。研究所は危険人物が揃ってる、所長の花姫は頭が切れる」
「花姫って通称なの?」
「通称だよ。若い女性なんだ。ファッションセンスを磨いて、黙ってれば可憐に見えるだろうね。人間っぽさが欠落してるんだ。だからこそあんな研究所を作ったんだろう」
 わたしは考えを巡らせる。ドラッグの作成をしたのは彼女だろうか。花姫。青柳黎明とは同一人物なのか。
 そもそも。
 半永久的なら決まっているのだ。
 イラは逃げ切れない。未来記がはずれることはないから。それをイラは知った上で逃げている。
「クスリ、どれくらいでできるんだろ」
「奴はぐうたらだけど、いざとなった時の行動は早い」
「花姫じゃないのか?」
「花姫は機械に弱いんだ。生体には疎い。……相対的に見て、だけど」
「恐ろしい女なんだな」
 イラの表情が一瞬暗くなった。目の中にいつもならある冷めた光すら消えてしまった。研究所での扱いを思い出してしまったのだろう。
 まちがいなく。壮絶な日々、だったのだろう。
「逃げてきて澤村の家にしばらくいるの?」
「ああ。話は通してある」
「通してある、じゃない。母さん、こいつ家に泊めるつもり?」
 キッチンから有也の母が答える。
「あら、だめ? お友達なんでしょう?」
 イラはそもそも、わたしや有也を友達と認識していないと思う。説明するのが面倒だから都合良く友人と言ったまでだろう。わたしでなくとも簡単に分かることだ。
「でも、アパートが水濡れで家財道具が全部水に浸かっちゃうなんてこと、ほんとにあるのねぇ。ご両親が多忙で引っ越そうにもお小遣いじゃ足りないって言うんだから」
 わたしは表情に出さないように努めたが、
「イラの小遣いって幾らなんだよ……」
 ぼそりと有也が呟く。
 まちがいなく家賃も家電もなんとかなるだろう。有也の母はイラの姓が紫条と知ってなお、この街の長者だとは気づいていないようである。その点、有也と瞳子の母なんだと思ってしまう。
「小鳥遊さんもゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
 コーヒーが出てきたので、わたしはありがたくブラックをいただいた。小鳥遊家の粉コーヒーとは違う製品なのかもしれない。こちらの方が苦い気がする。ドリップ式なのだろうか。
 いやそれよりも。
「奇会都市から調べていけば、澤村に頼りそうなことくらい分かるんじゃ?」
「研究所は人探しが苦手だ」
 イラは確信に満ちた顔で断言する。
「ワタシが幼い頃迷子になった時も、3日かかってる」
「今じゃもっと通信手段が発達してるじゃないか」
「それでも下手なんだよ。――ああ、そういえばあの人も研究員だった」
「あの人?」
「メーコさんも澤村も知ってる人だよ。あの人の権力を使えばすぐに発見されるかもしれないなあ」
「な、なんでイラさん、そんなのんびりしてるの?」
 珍しく慌ててしまった。
 イラは目の前の出来事に打つ手は打っておく人だと思っていたのだが。
「のんびりしてるというか、次に打つ手がなかなか考えつかなくてね。取り敢えず澤村の家に来た。そのうちメーコさんと澤村が来るだろうと思って」
「今日わたしたちはプレハブ小屋に行かなかったかもしれないよ?」
「そこは未来記だから確実だ」
 細かいところからとんでもなく規模の大きいことまで。未来記はことの大小を選ばないようだ。
「で、どうしようかな」
 至極どうでも良さそうに、自分のことなのに他人事のように、イラはため息とともに呟いた。